元貯金できない女医がナントカお金と向き合うブログ

お金貯められない女子の裏ブログ

家庭教師バイトで食べていた医学生時代

子供が医者になる家庭というと、裕福だと思われがちである。

実際、大抵のところそれは正しいと思う。

お金のかかる私大は当たり前として、

国立だって、1年間あたりは他の学部と同じとはいえど、

6年間あるのだからその分学費はかさむし、

その分就職するのも遅くなるわけだ。

 

私も、医学部に行きたいと言った時には、

国立といえど6年間も大学に行かせる余裕はないと、

随分反対されたものだった。

 

周りには、そんな理由で親から反対されたという人がいなかったので、

随分と自分のおかれた環境に怒りを覚えた。

 

奨学金とバイトで、家賃と生活費、学費の半分を賄うという条件で、

大学に6年間行ってよいということになった。

当初は実家からなんとか通っていたが、

片道2時間近く、1人暮らしを始めた。

 

実際、家庭教師のアルバイトは時給も良く、

学校と両立して自分の食い扶持と高い医学書を買う費用は賄うことができた。

でも、貯金はできなかった。

 

自炊するところまで自分に余裕を残すことができなかったのが

原因だったかと思う。

それから、外見にも一応気をつかっていたせいもあった。

洋服を地位財として買ってしまっていたから。

 

生活できるスレスレの仕事量にしておくのは不安だった。

なぜなら、家庭教師はいついきなり首を切られるか分からない職業だからだ。

もう1件減っても生きていけるという件数で仕事をし、

ちょっとある余裕を貯金していたはずだが、

ちょっと貯まると服に消え、1冊1万以上する医学書に消えていた。

 

それだけシビアにしていたのに、

家計簿など付けたこともなければ、

何にいくら使っているのかさっぱり分からなかった。

 

今振り返れば、

なぜかカフェで勉強することが日常になっていた。

カフェが一番落ち着いたのだった。

大学周辺のスタバには、そうした医学生が沢山集まっていたものだったが、

カフェにかけるお金は今の何倍、何十倍だったなと反省する。

 

洋服だって、

お金をかけなくてはいけないと思っていた。

「やっぱり高いものでなきゃ」

っていう、母や祖母が言っていた言葉が呪文みたいに付きまとっていた。

それは、その後10年くらい続いたかもしれない。